この映画のタイトルを見ただけで、胸が締め付けられるようなやりきれなさを感じた、ハッピーカラーのかじや玲子です。

いかがですか「存在のない子供たち」だなんて、誰からも存在がない自分を想像したら、たまらないですよね。
https://youtu.be/6pA1Q1LbIoE
「両親を訴えたい。僕を産んだ罪で」と、12才(多分推定年齢)の少年ゼインが、自分の両親を訴える衝撃的な裁判シーンから始まるこの映画。

中東(レバノン)の、余りに貧しく生きて行くだけの両親は、ゼインの出生届も出していないために「存在しない人間」、と言うことは、彼自身自分の誕生日も知らない、ということは自分の歳も知らないということ。

学校にも行かせてもらえず、家のために何でもお金になることなら働いて来たゼイン。

なのに、ちゃんと育てられるあてもないのに、次々と子供は授かりもののごとく産む両親。

その両親も、だからと言ってこの生活から抜け出る方法など考えつかない、負のスパイラル状態の極貧生活。

映画の原題「カぺナウム」は、フランス語では新約聖書のエピソードが転じて、「混沌、修羅場」という意味合いで使われるそうだが、まさしくその通りの現実と生き方。

もう、どこから手をつけたらいいのか分からないほどの「混沌、修羅場」。

こうやって書いていても、何んともやりきれない思いが込み上げてくるが、観ていてすごく不思議だったのが、この映画に登場する人物みんなが、とても役者とは思えないほどの現実味がいっぱいなのだ。

特に子どもたちは、本当にやせっぽっちで、とても役作りをしての結果とは思えないのだが、それもそのはず、実際にそのような環境で生活してきた子どもを使っているからと聞いて、納得!

主役のゼインの、本当にいつも悲しそうなやりきれなさを秘めている大きな瞳は、彼にするといつもの当たり前の姿なのだ。

子どもの瞳は輝いていて欲しい。

この映画「結末はどうなるか?」それはネタバレになるので、ここではコメントは差し控えるが、最後に無理やりだが、ゼインの笑顔が見られたのが慰めだった。

でも、やりきれない、何んとも言えないやり場のない怒りが込み上げてくるこの映画は、遠い知らない国の悲劇なのか?

この日本は?私自身は?と、自問自答をいまだに繰り返している私です。

現在、小倉北区魚町「小倉昭和館」さんでかかっています。
おすすめします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です